政府事故調査報告書をアップします!

2011年3月の東電福島原発事故から10年が経とうとしています。しかしながら原発をめぐる日本の状況は、原発再稼働、火山災害との関連性、使用済核燃料の再処理問題など、どれをとっても予断を許しません。今この時大災害が発生すれば、日本の原発群は甚大な被害をわれわれに与えつつ崩壊する可能性が有ります。

われわれが被る被害を最小限にするためには今われわれは何をすべきでしょうか?このことを考える契機の一つとなるのは、福島事故の後、膨大な時間と労力、お金を費やして作成されたのが、数多くの「報告書」です。これらを再度地道に検証し、さらに多くの教訓を引き出すべきではないでしょうか?。

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コロナ禍により、管理者の職場も予想を超えた混乱で多忙を極め、本ブログの更新にもブランクが出てしまったことをお詫びします。何とか以前のペースで更新を続けていきたいと思っていますので、どうぞ宜しくお願い致します。

伊方訴訟資料 1976-79年

伊方訴訟関連の資料で、これまで漏れていたものを今回アップします。

伊方原子力立地の主要経緯(昭和46年3月)四国電力株式会社

1968年からの原発立地の経緯と変遷が年表形式で記されている。一連の地元対策も興味深い。

 

公判経過メモ1973₋78(提訴から判決まで)

手書きのメモである。

闘魂1-3号(1976年5-7月)

伊方原発反対八西連絡協議会の機関紙的なもの

核燃料搬入(第3回)に対する抗議文(1976年9月28日)

岩盤鑑定後記者会見(1976年11月、生越鑑定人)報道記事

決議(1977年9月29日)

伊方原発裁判に勝利し 1号炉の運転停止 2号炉の建設中止を勝ち取る決議(1977年9月29日)

判決理由要旨

昭和48年第5号 伊方発電所原子炉設置許可処分取消請求事件 判決理由要旨(1978年4月25日)

裁判官忌避申立書(1978年9月)

 

伊方訴訟ニュース 第71号〜75号 (1979/7~1979/11月)

伊方訴訟ニュース 第71号〜75号 (1979/7~1979/11月)をアップします。

 

 

伊方訴訟ニュース第71号

控訴審第4回公判 異例の”裁判秩序維持宣言”呼応する国の居直り姿勢/被控訴人(国側)準備書面(2)(本号を含め3号に連載予定)第一 はじめに

伊方訴訟ニュース第72号

住民の不安と怒りに背を向けて伊方原発も強引に運転再開/被控訴人(国側)準備書面(2)(その2;前号に続く) 第二 TMI事故の概要等、第三 控訴人らの主張について/あきれはてた国側の釈明書/控訴審第5回公判 9月26日(火)午前10時30分 高松高裁6階法廷 国側の居直り反論に対して、原告住民側から、その破廉恥ぶりを暴露する準備書面が提出され、陳述される予定。

伊方訴訟ニュース第73号

支離滅裂の国側釈明に対し、再度のそして追加の釈明要求/被控訴人(国側)準備書面(3)(その3;連載最終) 第四 本件原子炉とTMI事故(本件原子炉においてはTMI事故のような事象は起こらない)/13ヶ月ぶりに2号炉訴訟再開 原告全員で準備書面の作成を/やっぱり そうか 明るみに出た柏木判決の背景/控訴審第5回公判 9月26日(水)午前10時30分 高松高裁6階法廷、伊方原発2号炉訴訟第2回公判 10月29日(月)午前10時 松山地裁大法廷

伊方訴訟ニュース第74号

控訴審第5回公判 暴露された「基本設計」の無内容さ/「どうなっているのか?」 控訴人(原告)準備書面(3)から、被控訴人(被告)準備書面(4)から/伊方原発2号炉訴訟第2回公判 10月29日(月)午前10時 松山地裁大法廷

伊方訴訟ニュース第75号

伊方原発2号炉訴訟 法廷圧す住民の気迫と正論/弁護士をたてずになぜ裁判を行うか/2号炉訴訟 準備書面 原告1 第1 スリーマイル原子力発電所の重大事故の恐怖、第2 推進してきた者もいまは、原発の安全性を信用していない、第3 スリーマイル島原発事故は多重防護が崩れ、恐るべき共倒れ事故が起きた、第4 原発従事者は地元住民より先に逃げた/伊方原発2号炉訴訟第3回公判 12月17日(月)午后1時半 松山地裁大法廷

関連の資料もアップします。

原子力技術研究会の申入書 1979年11月7日付

 

藤田一良、「伊方原発訴訟の経過とその問題点」、公害研究Apr. 1978, Vol. 7,   No. 4 特集 最近の公害訴訟

伊方訴訟資料1979年

 

国会事故調査報告書(全文)をアップします。

2011年3.11福島原発事故に関し、その原因についての再度の議論の深化のためのきっかけ、あるいは資料として活用されることを願っています。

大変長いのでまずは前半。

国会事故調-報告書1-(はじめに、詳細目次)

国会事故調-報告書1-(第1部)

国会事故調-報告書1-(第2部)1

国会事故調-報告書1-(第2部)2

国会事故調-報告書1-(第3部) 1-2

国会事故調-報告書1- (第3部) 3-6

国会事故調報告書に関しては、最近では石橋 哲さんの次の記事が存在する。

「原発事故経ても忖度ばかり、安全神話、まるで進撃の巨人」

https://digital.asahi.com/articles/ASMDN42C6MDNUPQJ00B.html?iref=pc_ss_date

 石橋さんは、2011年3月におきた福島第一原発事故をめぐり、国会が設けた民間人からなる独立の事故調査委員会(国会事故調、1年間の時限)において、事務局で実務を担った。今も高校などで事故調報告の真髄を語り続ける。インタビュー後の記事の中で石橋さんは次のように述べている。以下上記記事から引用する。

 

➖解散して7年以上も経つ事故調の話をするのはなぜ?

 「事故の背後には、自らの行動をずっと正当化し、責任回避を最優先し、記録を残さないできた不透明な組織と制度があり、それらを許容する法的な枠組みがあったと事故調は指摘しました。その根本原因の解決に向けて不断の改革の努力を尽くすことが、国民一人ひとりの使命だと報告書に書いたからです」

 「国会事故調は、国会が憲政史上初めて作った独立調査委員会です。事故が起きた11年の12月にでき、翌12年7月に592ページに及ぶ報告書を衆参両院の議長に提出しました。委員10人の下、最盛時は約100人のスタッフが延べ1167人の関係者に900時間以上話を聴き、東電や規制官庁に2千件以上の資料を請求して、事故原因や再発防止策を探りました」

➖報告書をもっと知ってもらうための活動、高校でのゼミ(題材は「進撃の巨人」

「そこで友人や知り合った高校生、大学生らと『わかりやすいプロジェクト』という活動を始めました。報告書の内容を一人でも多く知ってもらおうと、メンバーが手作りで動画などにまとめ、ウェブで公開しています」

「これは城壁の外に人を食らう巨人がいるという設定です。安全を守る壁の絶対性を説く支配層、それに従う普通の人々、壁に疑問を抱く少数派の3グループに分かれて、それぞれが何を大事にしているか議論したうえで、そのためにどう行動するかを発表してもらう『なりきりディスカッション』をしました。支配層と普通の人々が疑問を抑えつけ、壁に疑問を持つ人々が少数である限り、巨人が壁を壊してなだれ込み、多くの人が食われる結果を招きます」

➖本当の原因は「制度的な欠陥・問題」

「事故や災害が起きると、様々な問題が一挙に顕在化します。それは慢性の病気が急に悪くなった状態に似ています。解熱剤で発熱を抑えるなどして一時的に楽になったとしても、もとの病気を治さなければ再発します」

 「顕在化した問題は氷山の一角です。本当の原因は、その前から抱えていた制度的な欠陥・問題で、そちらの方がずっと重要ですが、十分に議論されていません。メディアの注目も足りません」

「社会は変わってきた。だからあきらめない」

今月5日には衆議院の原子力問題調査特別委員会に、同委員会アドバイザリー・ボード(会長=黒川清・元国会事故調委員長)のメンバーとして呼ばれました。国会の取り組みはいかがですか。

「17年にボードができてから4回出向きました。国会事故調があったことさえ知らない国会議員がたくさんいて衝撃を受けました」

 「事故調はたかだか半年活動しただけで、手を着けられなかった問題がたくさんあります。なので国民の代表である国会で調査や議論を継続するよう提言したのですが、ほとんど実現していません」

「未解明部分の原因究明や、原子力をめぐる組織的・制度的問題の解決など、大がかりな取り組みになるので、実施計画を作って進み具合を国民に公表することや専門家による独立調査委員会を活用することといった具体策も挙げてあるのですが……」

 「この間、米国の連邦議会は専門家に依頼し、福島第一原発事故について2年間かけた調査を2回実施しています」

 ➖国会を含め日本社会はなぜ変わらないのか?

「変えるより変えない方が楽で合理的だからです。国会議員にとっては有権者の支持を集めることが重要です。『どうすればいいだろう』と議論で悶々(もんもん)としている姿より、見栄えよく誰かを非難している様子が報道された方が票につながると思うから、変わらないのです。そういう有権者、商業メディアだからです」

「何もせずに国会が悪い、政治が悪いと言っていても、何も変わりません。昨日と同じような行動を選択するから、昨日と同じような日がまた一日延びるのです。社会は与えられるものではなく、『私』が『今』創るものです。自分を変えることは一番簡単です。国会議員も自分の周囲の有権者がどう考えているかを見ています。『変えることが合理的なんだ』と思えば、必ず変わります」

「世界史の教科書を開くと、この一行の中に何人が押しつぶされる思いをしただろうと考えます。でも、社会は変わってきました。だから、あきらめません」

 興味のある方は是非記事をお読み下さい。また、関連団体『わかりやすいプロジェクト』https://www.naiic.netから報告書についての資料も公表されているので、そちらも参照されたい。

 

伊方訴訟資料 1976年

ニュース以外の伊方訴訟関連資料を幾つかまとめてアップします。

主に1976年に印刷・発行されたものです。

伊方訴訟ニュース-資料-1976年

内訳:伊方原発設置許可取消行政訴訟 裁判斗争支援の特別カンパの訴え/

ニュース第2号(1976/7/12発行)「反原発国際会議」に代表を送る会/

【ビラ】伊方原発粉砕労学共斗3名不当逮捕さる!絶大な支援と圧倒的カンパの集中を!/

「朝日ジャーナル」記事”ゲンパツ”にあらがう人びと-愛媛県西宇和の住民運動をみる-(1973/2/23号)/

垣見証人証言要旨/

雑誌「原子力工業」記事”間もなく結審 伊方原発訴訟 -インタビュー 科学技術庁安全審査管理官 堀内純夫氏に聞く- (第23卷 第10号)

書籍の紹介(1)

紹介したい本は以下の2冊である。

  • 核実験地に住む アケルケ・スルタノヴァ 花伝社 ¥2,000+税
  • セミパラチンスク 草原の民・核汚染の50 森住 卓 高文研 ¥2,000+税

著作1:核実験地に住む アケルケ・スルタノヴァ

 書名から想像できるように、これら2冊の本は、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の核実験場の一つであるセミパラチンスク(現在のカザフスタン共和国*1の東北部)における第2次大戦直後から始まった永年にわたる数多くの核実験による大規模な被爆・核被害を扱ったものである。

 著作1)は昨年に出版された比較的新しい書籍で、その中身は第1部 セミパラチンスクでのフィールドワークから、第2部 「正史」としてのセミパラチンスク核実験場で構成されており、第1部はさらに5つの章、セミパラチンスクにおけるソ連の核実験、「正史」が語ること、隠すこと、住民の証言の中の被ばく、「実験台」としての住民、治療なしの診察・入院、インタビューを振り返って、を含む。この構成を見ると、「論文のようだね」という印象を持たれる方も多いと思われるが、本書は正に、セミパラチンスク出身の筆者(アケルケ・スルタノヴァ Akerke SULTANOVA)さんが、日本の大学で執筆した修士論文をベースに生み出された著作なのである。「論文」とは言っても、内容は多岐に渡った臨場感あるルポルタージュになっており、筆者の日本語の学習成果が反映され、文章は平易で読みやすくごく普通の日本人にとっても容易に読了できるものとなっている。

 本書の重要な特色は、筆者が現地の出身者であることを十二分に活かした、これまで殆ど記録が無いと思われる、様々な性別、年齢の男女への大規模な聞き取り調査の報告でもある点であろう。核実験(この実験場では1949-1989の40年間に456回行われた!)の様々な(住民の健康面に留まらず、農業や牧畜産業の面における)被害は、四国に匹敵するような広い範囲に及び約200万人が被爆したにも拘らず、旧ソ連時代には語ることは事実上タブーで、健康調査や医療サービスについてもその結果の多くは個人的にも社会統計的にも明らかにされることは殆どなく、秘密裏に進められた。このように、極めて不十分ないわゆる「正史」しか存在しない状況に対し、1990年代以降とはいえ、系統的な聞き取り調査により、極めて深刻な核被害者となっていた当事者の生の声を記録しているのは極めて大きい意義をもつと考えられる。

 またこのような著作が世に出るにあたり、幸いにも、筆者の高校生の時の広島への留学経験をきっかけとし今日まで永年培われてきた、日本との様々な関係が多少なりとも貢献しているらしい点にも注意すべきである。

 2度の原爆被害と福島原発事故を経験した私たちがなすべきことは、重厚長大産業の生き残りのための時代遅れの国策原発輸出などではなく(既に殆ど頓挫しているが)、これまでの医療面、被害調査面での膨大な蓄積や、福島での失敗した事故対応経験などを隠蔽することなく世界に発信し、同様の問題に悩む多くの世界の人々に貢献することでは無いだろうか?本書は、核に関してわれわれが今後進むべき民間国際協力の方向性をも示唆しているように思われる。

著作2:セミパラチンスク 草原の民・核汚染の50 森住 卓

  著作2)は、1951年生まれのフォトジャーナリスト 森住 卓(たかし)氏の著作で、複数の章を受賞したセミパラチンスクに関する最初の著作「旧ソ連セミパラチンスク核実験場の村—−被爆者のさけび」1995年自費出版、に続くものである。内容は、文章部分こそカザフスタン共和国の紹介と「それは祖国への核戦争だった――草原に核汚染の現実を追って」というルポルタージュという形式を取っているが、容易に想像できるように、文章に併せて掲載されている多くの圧倒的なヴィジュアル=写真こそ本書の一大特色である。その中には、カザフスタンの自然、人々の生活に加え、被爆によると思われる動物の奇形や幼児・子どもの様々な身体的症状が記録されている。この意味で、正に著書1)を的確に補足するものとなっている。われわれはこれらに眼を背けずしっかりと対峙する必要がある。そして、これらの、特に想像を越えた健康被害について「あれは命令されたことをやった結果にすぎない」、「核実験との因果関係は証明されていない」などと言っている旧ソ連の様々な人々を許して良いのであろうかということである。少なくとも共産党、軍の官僚や全てのデータを持ち去り未だ殆ど公開していない現ロシアの官僚は直ちにデータを公開し、核実験・健康被害調査の全貌を明らかにし、(因果関係究明はともかくとして)残された被害者の救済を始めるべきであろう。そして、われわれ日本人も被爆国でかつフクシマを生み出してしまった存在として、彼らへの支援連帯行動に微力でも参加すべきではないだろうか?

*1 ロシア連邦の南、中国の西に隣接しており、旧ソ連邦時代には連邦の1構成国カザフ・ソビエト社会主義共和国であったが、ソ連崩壊にともない1991年12月に独立した。